十二人の怒れる男 人間的会話劇で描かれるサスペンス

感想

この作品を見終わったとき、素直に驚いた。

もう90分も経っていたのかと。

私はこんなに動きのない映画は初めて見た。

何しろ映し出される映像には男たちが会議室で話しているだけなのだ。

 

さらに1957年の映画だ。

映像は白黒、再生した直後は最後まで見れるか不安になるレベルだ、

 

しかし、あっという間だった。もう終わっていた。

サスペンスものであるにも関わらず、

事件そのものを映し出す映像も一切ない。

すべての情景が、会話の中で描かれている。

 

まるで小説を読んでいるかのようであった。

それでいて、男たちは実に人間味のある討論を続ける

 

 父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、陪審員が評決に達するまで一室で議論する様子を描く。
  
 法廷に提出された証拠や証言は被告人である少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していた。全陪審員一致で有罪になると思われたところ、ただ一人、陪審員8番だけが少年の無罪を主張する。彼は他の陪審員たちに、固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを要求する。
  
 陪審員8番による疑問の喚起と熱意によって、当初は少年の有罪を信じきっていた陪審員たちの心にも徐々に変化が訪れる。
  
 (Wikipedia 十二人の怒れる男(原作:レジナルド・ローズ)
 「あらすじ」より引用 ) 

 

当初は無罪を主張するのは一人の陪審員のみであった。

 

それが、討論を続けていくうちに周りの陪審員も証拠に対する疑念を持ち始め、

態度や主張に変化が現れる。

 

陪審員という、我々からすると少しばかり非現実的な立場に立たされた人がどう考えるのか。

それぞれにも生きてきた経験と価値観がある。

物語の主軸となるのは一人の少年の判決であるが、

陪審員の人間臭さとでも言うべきものがこの映画の面白さであると感じた。

 

偏見は事実を曇らせる

作中のセリフであり、主題でもあるのだろう。

スラム出身である少年に対する偏見として描かれているが、

実際、友達と話すときなんかでも

偏見や先入観から事実が見えてこないなんて場面も往々にしてあるのではないだろうか。

 

主人公が口を酸っぱくして言っているが、

「話し合い」の場を設けることが大切なのだろう。

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